『他人の理解』は本当に必要?

健康って心と体、両方があってこそ。


本日はメンタルのお話をしていこうと思います。


私が思春期の頃から強く思っていたこと。


『誰も私を理解してくれない』『私を理解してくれる人が重要』


人付き合いの中で『理解してくれる人』というのが自分の中で大きなウエイトを

占めていました。

そこから沢山の人生経験を経て、今になって思うこと。


『本当の自分って何よ?理解して貰うってそもそも必要?』


自分の思っている自分と人から見た自分は違う、この事実を理解しないまま生きていました。


親にすら、パニック障害や兄との差別に苦しんでいる事実を無視され続けていたのだから、

赤の他人に自分の本質を理解してもらおうなんて、もはやミッション・インポッシブル。



以前、有吉弘行さんの本を古本屋で手にして買ってみたんですが、人付き合いについて書かれた一文がありました。


『もし「本当の俺」みたいなものを見せたいのであれば、

そういう自分を相手に見せなくちゃいけないんです。

大事なのは、「自分をどう見せたいのか?」ってこと。』

※有吉弘行 【嫌われない毒舌のすすめ】より


『人に理解されることはそもそも不可能である』と気付いた私は、この言葉に激しく同意するわけです。


理解して欲しければ見てほしい自分を自分の方から届け、伝える。


これをせずに『理解されない!本当の自分を解って!』は無理です。


だって、自分にすらよく解らない「本当の自分」なんだから。



人の心をうまく感知できる人も世の中には存在しますが、そういう人とだってある程度のコミュニケーションは必須ですよね。


もし自分を理解して欲しいのならば、理解して欲しい自分を表現しないといけないんです。


こういう事が楽しい、こういう言い方は嫌、私はこういう考え方etc…



とは言え人って価値観があるので、自分の伝えたい通りに相手に伝わるのか、それもまた疑問。


私が美味しいと思うものが相手には美味しくなかったり、同じく美味しいと思ってもそのポイントが違ったりします。


自分と同じ思いをそっくりそのまま分かち合うってのは、特に複雑なメンタルの面では不可能です。



例えば私のパニック障害の辛さは、同じパニック障害の人にはある部分は共有できますが、全て共有できる訳ではないでしょう。

そして、私は別にパニック障害であることを悲劇として捉えていない(厳密には捉えることをやめた)ので、それを悲観する人とは気持ちを共有するのは難しくなります。


それに私は精神疾患を持っていますが、例えば別の明確に見た目で現れる疾患の方の苦しみを理解できるかと言えば、やはり、できる訳がないんです。

人間は想像はできる生き物だけれど、現実と想像は必ずしも一致しません。

お互いを理解したい気持ちは大切ですが、全く同じ気持ちになることは『個人』という存在がある限りは不可能なんです。


他人と気持ちの共有は不可能だというのに、理解を求めようとするのは無駄な期待にもなってしまいます。


相手に「完全な理解」を求めないことも、自分が楽になる鍵の一つだと思っています。

相手に求める=期待することは思うような結果を得られない場合、失望に変わります。


しかしこの失望ってとても自分勝手じゃないでしょうか。


理解不足はお互い様なのです。

『自分』というものが『相手が認識している自分』でしか在りえない以上、自分も他人に対しての理解不足は一緒。


それを勝手に期待して失望する、なんて本当にもったいない。

これが精神疾患を理解されず苦しんできた私が、今後も生きる上で楽になった考え方です。


以前、反抗期真っ盛りの娘から『ママはいつも同じ事しかしてないし、狭い範囲でしか動かないつまらない人生』みたいなことを言われたのですが、別にショックじゃありませんでした。

自分の知らない人生を簡単に批判するような人間になりつつあることはショックだったけれど。


ただ、その時の彼女は私が疎ましい時期なのでそういう物言いになったんだろうし、私が理解して欲しいと近づけば近づくほど遠ざかるのは、火を見るよりも明らかです。


いつか彼女の人生で、身近な大切な人が周りに理解されないことで苦しんでいたら、そういった苦しさに対して興味を持つこともあればいいな、くらいに思っています。



期待を捨てることは、絶望することではありません。


それぞれを『個性』として認める、多様性を理解する。


と言い換えてもいいのかもしれません。



私は別に娘に理解されないからと絶望しているわけではないし、幼少期からパニック障害であり、そしてこれからもこの病と共にあることに関して悲観もしていません。


『事実』がそこにあるだけ。


あちこち進んで旅行することもできなければ、夜景の素敵な展望レストランに気楽に行くこともできない。


基本徒歩圏内を自力で移動しながら、自分のペースで自分のやりたいことで生きていく、そういった存在が在るだけの話です。


思えば私、パニック障害だからって人から嫌われたことは、ない

ここが重要です。


人からの誘いは行ける場所が制限されるので疎遠になる人は沢山いるけれど、でも ”パニック障害だから” 話さない、とか避けられる、みたいなことは今まで一度もありません。

これだけで十分なんじゃないかと思っています。


そりゃ周りから見ればキラキラからは程遠い生活かも知れない。


でもさ、そんなもん、全部ひっくるめて『個性』でしょ!?

私はアロマテラピーというものに出会い、自分のような人の不調に対して何かアプローチできないか、そういう想いでサロンをやっています。


私には母の遺してくれた古いながらも広い家があり、身体や精油についてもオンラインセミナーで知識を深めることができるし、こちらに戻ってきてすぐに素敵な出会いにも恵まれ、娘とは離れて暮らしているけれど定期的に連絡を取り合い、「にゃーん」と鳴く方の娘と穏やかな毎日を過ごせています。

これだけあれば、例えば、精神疾患であることを悲観する要素ってどこにあるんでしょう。



人は誰しも、大なり小なりネガティブなものも抱えて生きているでしょう。


その中で、もしあなたが今人に理解されたくて苦しんでいるとしたら、なぜ理解されたいのか、どこをどう理解されたいのか、深く掘り下げて考えてみて下さい。



そうして見えてくる自分を、一つの「個性」として認めてあげてください。


そして、周りの人々もまた、「個性」として認めてあげてください。


きっと今まで、あなたが望んでいたことは、あなたも他人にできないこと。


『本当の自分』は『人の認識している自分である』ということ。



それを意識して考えて行動することで、世界はかなり変わりますよ。

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